『夜と霧』―極限状態に置かれた人間は何を考え、どう生きていくのか―ヴィクトール・フランクル

世界文学

はじめに

極限状態に置かれた人間は何を考え、何を支えに生きるのでしょうか。

『夜と霧』は、精神科医ヴィクトール・フランクルがアウシュヴィッツ強制収容所での体験をもとに書いた作品です。
飢え、暴力、死が日常となった世界のなかで、人はどのように絶望と向き合ったのか。

本書には、収容所での過酷な体験だけでなく、人生を生きるうえで大切な考え方が数多く描かれています。
収容所生活という現代とはかけ離れた世界が舞台ですが、作中に出てくるドストエフスキーの引用やフランクルの言葉には、今を生きる私たちのヒントになるものが数多くありました。

私🍏自身、この本を読んで生きることが少し楽になりました。
人生に悩んでいる人にこそ、おすすめしたい一冊です。

『夜と霧』はこんな人にオススメ

  • なぜ生きなければならないのか悩んでいる人
  • 人生に意味を見出せない人
  • 今の苦しみから抜け出せる気がしない人
  • 心理学や哲学に興味がある人
  • 生きる勇気をもらいたい人

あらすじ

『夜と霧』は、精神科医であるヴィクトール・E・フランクルが、ナチスの強制収容所で体験した日々を記した作品です。

そこには、飢えや寒さ、暴力、死と隣り合わせの過酷な現実だけでなく、その極限状態のなかで人間の心がどのように変化していくのかが克明に描かれています。

本書は単なる収容所体験記ではありません。
極限状態に置かれたとき、人間は何を失い、何を守ろうとするのか。
そして、人はどのようにして生きる意味を見出すのか。
そうした根源的な問いを、静かに、しかし鋭く投げかけてくる一冊です。

過酷な状態に置かれた人間は何を思うのか

『夜と霧』を読んでまず強く感じたのは、人間の「慣れる力」の恐ろしさと凄さです。

フランクルは、ドストエフスキーの「人間は何ごとにも慣れる存在だ」という趣旨の言葉を引きながら、強制収容所という異常な環境のなかでも、人は少しずつその現実に順応していくことを描いています。

収容所に入る前なら耐えられないような不衛生さや騒音、極端な空腹や寒さのなかでも、人はやがて眠り、働き、次の日を迎えていきます。

私はこの描写を読んだとき、人間の忍耐力に驚かされると同時に、少し怖さも感じました。
人間は良くも悪くも「慣れる動物」だからです。
どれほど辛い状況にも、人は少しずつ適応していく。
そう考えると、今抱えている苦しみも、永遠には続かないのかもしれません。

もちろん、現代の悩みや日常の苦しさを、強制収容所の過酷さと同列に語ることはできません。
それでも、この洞察は決して他人事ではないと感じました。

たとえば私たちも、学生時代から社会人になるとき、
「毎朝早く起きて、身だしなみを整え、週5日会社に通う生活なんてとても無理だ」
と恐怖を覚えた人は多いはずです。
それでも多くの人が、いつの間にかその生活に順応し、社会人として日々を過ごしています。

ただ、ここに「慣れること」のもう一つの怖さもあります。
人はどんなに恵まれた環境にいても、そこに慣れてしまえば感謝を忘れ、幸せを感じにくくなってしまう。

『夜と霧』は、人間がよくも悪くも「慣れる動物」であることを、極限のかたちで見せてくれる本だと感じました。
そして同時に、アウシュヴィッツという過酷な環境で生きながらえた人たちがいたことを知るだけでも、今の私たちがどれほど恵まれた場所にいるのかを、改めて考えさせられます。

過酷な環境をどう乗り切ったのか

しかし、どれだけ人が環境に慣れる存在だとしても、苦しいものは苦しい。
ただ順応するだけでは、心は簡単に折れてしまいます。

では、フランクルは何によってその極限状態を耐えたのでしょうか。

作中で印象的なのは、彼が最愛の人のことを思い浮かべる場面です。
収容所には自由も、食べ物も、未来の保証もありません。
それでもフランクルは、心のなかで最愛の人を思い浮かべることで、至福ともいえる幸せを感じることができたと書いています。

人は愛する人を想うことで、自分の内面にかすかな光を保つことができる。

このくだりを読んだとき、私は
「人は、今が楽だから生きられるのではなく、未来に意味があると思えるから生きられるのだ」
と感じました。

普段の生活も、決して毎日が楽しいわけではありません。
仕事や人間関係で疲れ、気持ちが沈む日もあります。
それでも、週末の予定や、大切な人との約束、いつか叶えたい願いがあるから、もう少し頑張ろうと思えることがあります。

『夜と霧』は、その感覚を極限まで突き詰めた本です。
アウシュヴィッツという人類史上最悪とも言える環境のなかでも、人を支えていたのが「愛」と「未来への希望」だったのだとしたら、現代を生きる私たちにとっても、この2つは決して軽視できないものだと思います。

運命とはなにか

本書には、「テヘランの死神」の逸話が紹介されます。

その話だけを読むと、人の運命は最初から決まっていて、何をしても意味がないのではないか――そんな気持ちにもなります。

しかし、私はそれを踏まえたうえで、フランクルの次の言葉がより強く光って見えました。

「人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。
人間とは、ガス室を発明した存在だ。
しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」

「人生の意味は与えられるものではなく、自分で見出すものである」

たしかに、人は自分ではどうすることもできない運命に巻き込まれることがあります。
生まれる時代も、境遇も、予期せぬ不幸も、自分では選べないことが多い。

しかし、そのなかでも、「その状況にどう向き合うか」という態度まで完全に奪われるわけではないのです。

私はこの本を読みながら、人生の意味は最初からどこかに用意されているものではなく、自分で見出していくしかないのだと思わされました。

「人生はつまらない」「意味がない」と私たちは簡単に言ってしまいがちです。
でも本当は、意味がないのではなく、自分で意味を見つけることから逃げているだけなのかもしれません。

仮に運命が決まっていたとしても、その運命に対してどのような態度を取るかは自分で選ぶことができる。
そう考えると、運命のさらに手前で、「どう生きるか」を決めているのはやはり自分自身なのだと感じます。

私🍏自身、人生を振り返ると失敗や回り道ばかりでした。
仕事、人間関係、将来への不安。思い通りにならないことの方が多かったように思います。
しかし、その経験があったからこそ、今の自分の考え方があります。

人生の意味は最初から用意されているものではなく、自分自身が与えていくものなのかもしれません。
『夜と霧』は、そんな厳しくも大切なことを、静かに突きつけてくる本でした。

過酷な環境だからこそ試される人間性

本書では、収容所に入れられてから外に出るまでの収容者の心理状態が、時系列に沿って丁寧に描かれています。

多くの収容者が感情を失い、苛立ち、時には死んでいった仲間の衣服を剥ぎ取るような場面もあります。
それでもフランクルは、そんな環境のなかでさえ、わずかなパンを誰かに分け与えるような人間が、確かに存在したことを書き残しています。

余裕があるときに誰かに手を差し伸べるのは、それほど難しいことではありません。
けれど、自分自身が本当に苦しいときに、それでもなお他人に手を差し伸べることができる人こそ、本当に強く、美しい人間ではないでしょうか。

『夜と霧』は、人間の醜さだけでなく、人間の尊さもまた、極限状態のなかで浮かび上がらせてくれる本でした。

最後に

今回はヴィクトール・フランクルの『夜と霧』について、私🍏なりに感想と解説を書いてみました。

本書はアウシュヴィッツという極限状態を描いた作品ですが、その本質は「人生とは何か」「人間とは何か」を考えさせる哲学書でもあります。

辛い出来事や理不尽な出来事は、誰の人生にも訪れます。
しかし、その出来事にどのような意味を与えるのかは、自分自身で決めることができます。

私🍏はこの本を読んで、生きることが少し楽になりました。
なぜなら、人生の苦しさや虚しさそのものを魔法のように消してくれる本ではないけれど、その苦しさのなかでも人は意味を見出しながら生きていけるのだと教えてくれたからです。

「なぜ生きるのか」
「人生がつまらないのはなぜか」

そんな問いを抱えている人にこそ、ぜひ一度手に取って読んでみてほしい作品です。

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