「こころ」 夏目漱石:[感想]

読書

はじめに

日本を代表する文豪、夏目漱石。

彼がこの世を去り100年以上たちますが、彼が残した作品は現代においても、いまだに愛され続けており、今日を生きる私達に手助けとなるヒントを与えてくれます。

今回はそんな彼の作品のなかでも「こころ」について書きたいと思います。

この作品は「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の三部構成になっており、特に最後の「先生と遺書」は高校の教科書に取り上げられているので

漱石作品のなかでも有名な作品といえるのではないでしょうか。

この記事では「こころ」の魅力について紹介したいと思います。

以前書いた夏目漱石「それから」についての感想

1「こころ」を読む上で頭に入れて欲しいこと

趣味の読書は授業の「国語」とは違い正しい解釈を求められることはないですし、テストもありません。何も考えず読み進めてもそれは個人の自由です。「アンパンマン」をみて「バイキンマンは悪い奴でアンパンマンは良い奴である」

その考えは学校であれば正解ですが、趣味でアンパンマンをみるなら別の解釈をしたっていいわけです。逆に「何度も悪事をしてしまうバイキンマンが悪いのではなく、バイキンマンを生んだ社会に問題があるのではないか。アンパンマン達は太陽が照らされた過ごしやすい環境で暮らしているが、バイキンマンはどうか」

同じ作品でも人によって様々な解釈や感想を持つことは当然の事のように思います。

ただ解釈・感想は自由ですが、作者の作品に対するテーマやキーワードというのは不動であり、読者の思いで変えられるものではありません。

それらを念頭にいれて読書をすると物語が進んでいくたびに、その散りばめられたテーマ・キーワードが繋がっていき物語が輝きだし、様々な意味を持ち始める感覚は読書の醍醐味であるように思うので

是非そこは汲み取ってあげるべきだと思います。私🍏は「こころ」に限らず本を読む上でこの作品のテーマやキーワードは何か、という事を考えてながら読書をしています。

特に漱石作品はこのテーマやキーワードが重要である作品が多いような気がします。前置きが長くなりましたが、この「こころ」のテーマはタイトル通り「人間の心」です。

漱石は最初この作品を「心」と題していましたが文字よりも音にこだわって「こころ」に変更したそうです。この経緯を知っているとこの「こころ」というタイトルに、漱石が

いかにこだわりを持っていたかという事を理解することができ、漱石がこのキーワードを重要なものとしてこの作品を作り上げた事を理解することが出来ます。

冒頭にも述べた通り趣味なのでどんな解釈・感想を持つのも、読書スタイルも自由ですが、一つの作品に対する作者の熱意は我々読者の力が及ぶところではなく、

作者の意図や熱意を前提として知ることで読書が更に甘美な時間になると思います。

2先生のこころ

  • 2.1「先生と叔父」

物語を通して先生の心というのが大きなテーマとしてこの物語は進んでいきます

先生は学生時分の頃、両親を早くに無くし、その後両親から信頼の厚かった叔父へ半ば預けられるような形で生活を送っていきます。

資産家であった親への資産も自分で調べることなく信頼している叔父に任せ自分は東京で学業が出来ればそれで充分だと地元を飛び出します。

しかし、長期休みに地元へ帰るたびに自分の娘の縁談を急に進めてくる叔父へ不信感が募っていきます。それを断ると叔父を含めた叔母・従妹が態度を変えて接してくる

事にさらに不信感が募り、両親の遺産を調べると叔父が自分の遺産を横領していた事が判明します。そこからは彼は厭世的で、他人を信じることが出来なくなります。

この出来事は先生の人間関係における哲学を形成するきっかけとなり物語にも大きく影響していきます。

「この世に悪人は存在しない。平生はみな善人ではあるがお金・権力・地位など欲が絡むと人は平気で他人を騙す恐ろしい悪人になり得る」これが先生の哲学となり

人に対し疑いの目を持って生活していくようになります。

  • 2・2「先生と三角関係」

その後地元を離れ東京で静と出会い次第に静に惹かれていきます。叔父に騙され「金」に対して人類を信じることの出来ない先生でしたが、「愛」だけはまだ人類を信じることが出来たのです。

そして物語終盤のKと先生と静の三角関係が描かれている場面では先生は親友Kが自分と同じく、静に対して恋心を抱いていることを知り恐怖し良心を失い、寺の息子で厳格主義のKに冷たい言葉で打ちのめします。「私は彼自身の手から、彼の保管している要塞の地図を受け取って、彼の目の前でゆっくりそれをながめることができたも同じでした」まさに、先生はKに何を言えば彼が一番ダメージを受けるのかを地図を見るかのように理解することが出来たのです。そしてKに「精神的に向上心のないものはばかだ」という有名なセリフでKを打ちのめします。このようにKを打ち負かした先生は、静の母親へ娘さんをくださいと伝え静を妻として迎え入れます。先生はこの話しをKに言えるわけもなくKに隠します。一方Kは静の母親から先生と静は夫婦になる事を聞かされます。Kはその話を聞いた後、先生を恨む様子もなくいつもと変わらず接するK。この事実を知った先生はそこでやっと良心の心が戻ります。「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」そしてその数日後Kは自殺し先生は気づきます。「叔父に騙され人類は信じる事の出来ない生き物だと思って生きてきた。しかし自分は違うという信念があったが、どうやら自分も同じ生き物らしい。さらにいえば人類は金だけでなく愛においても信じることの出来ない生き物だと」彼は人類に愛想をつかすのと同時にKの自殺により、自分自身にも愛想をつかしてしまいます。

「こころ」に限らず漱石作品において三角関係はよくでてきます。漱石は三角関係こそ人間の心や本質が出ると考え作中に多く用いられています。静とKが二人で話している様子や、取るに足りない些事に「先生」は嫉妬してしまいます。先生のセリフにこういのがあります。「こういう嫉妬は愛の半面じゃないでしょか。私は結婚してから、この感情がだんだん薄らいでいくのを自覚しました。その代わり愛情のほうもけっしてもとように猛烈ではないのです」

猛烈に自分の「こころ」が」動くとき無意識に誰かを傷つけてしまう「人間の心」というのを表現した場面だと思います。

3わたしの役割

  • 3.1「わたしと先生の過去」

「こころ」の主な物語は①で述べた「先生の遺書」の場面だと思います。普通の小説家であればこの「先生と遺書」だけで発表していたように思いますが

漱石は「わたし」という登場人物をだします。この「わたし」は暗い過去をもっている先生に強い興味を抱きどんな過去があったのかを聞き出そうとします

自分を含めた人類に愛想つかした先生はそれをオープンにするのを拒み、いつか話すと約束します。

三部構成の「こころ」は「先生と遺書」まで読み進める間、先生に何があったのか読者は知らされることなく焦らされます。そして一部・二部で出てくる「私のようなものが世の中へ出て、口をきいてはすまない」・「どうしても私は世間に向かって働きかける資格のない男だからしかたがありません」「しかし君、恋は罪悪ですよ」このような意味深な文章達が最後の三部で一気に明かされる構成は素晴らしくまるでミステリー小説をよんでいるかのようです。

加えて過去の話に関係のない第三者である「わたし」を出すことで先生の過去と現在の先生が明確に浮き彫りになり時間的なハバも生まれます。また、「わたし」の目をとおして先生をみるとより先生の性格が客観的にうつしだされ、「先生はどのような考えを持っていてどういった人物なのか」というイメージが抱きやすくなっています。

  • 3.2「父親と先生」

そしてその効果が顕著に出てくるのが二部の「両親と私」の場面です。二部では「わたし」の父親が病に倒れ「わたし」は一時的に東京を離れ「先生」はほぼ出てきません。

しかし「わたし」は実家に戻り、自分の父と先生を比較し、連想するようになります。大学を卒業したことを腹の底でけなしながら「おめでとう」という先生。一方田舎者の無知から大袈裟に祝ってくる父親。そして父親の事は全て知り尽くしているが先生の事はまだまだ明かされていない事が多く強く興味を抱く「わたし」、そして病床である父親に対し仮に今死別したとしても情会のうえに親子の心残りがあるだけだと感じる「わたし」。

そして先生の遺書が家に届き先生が自殺したことを知ると、危篤状態の父親を残して「わたし」は電車に飛び乗ります。「こころ」という作品において父親と先生を比較して表現した意図はなんだったのでしょうか。二人とも最後は死を迎える点では同じですが、「わたし」にとって興味をそそったのは、知り尽くしている父親よりも、まだ知り尽くしていない先生のほうだったのです。そしてこの作品のテーマである「人間の心」を通してこの表現をみると、人間の心は何かに興味を持つと行動力を持って調べようとするが、それをある程度までそれを知ることで、満たされてしまうと満足し興味関心が薄れてしまう性質を表現したかったのではないでしょうか。

「わたし」を物語に登場させることで先生の暗い過去を当事者ではなく第三者の目線で徐々に事実が明らにしていく事に成功し、「わたし」の周りの人間と先生を比較することで

先生のイメージがより読者に伝わりやすくなる構図はこの作品を純粋に読み物として面白いものにしているように思います。

4罪と罰

  • 4.1先生と孤独

私🍏が「こころ」において「人間の心」とは別にもう一つテーマを挙げるのなら「罪と罰」というテーマを挙げると思います。

先生は自分がKを自殺に追いやったとしてその罪悪感から自分が幸せな人生を送る資格のない人間として生活を送っていきます。

静を妻として迎え入れ幸せの結婚生活を送れる予定でしたが、普通の人生を送ろうと思う度にKという暗い影が前を通り過ぎます。彼は全てを妻に話そうかと試みますが、妻という純白なものに黒い記憶を染みこませたくないという気持ちから最後まで話すことが出来ませんでした。最愛の妻だからこそ、自分の暗い過去を話すことが出来ない、この事実はますます先生を厭世的にし、孤独にしていきます。世の中で一番信愛しているたった一人の人物が自分を理解していない事に悲しみ、理解される手段があるのにも関わらず、理解される勇気を持ち合わせていない自分にますます悲しくなったのです。

自分の一番深い闇だからこそ、自分の考えが一番形成される部分であり、誰かに知ってほしいが話すことが出来ない。先生が「わたし」言った言葉に「私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたは腹の底から真面目ですか」という言葉がありますが、Kの自殺以降だれよりも孤独だった先生は誰かに自分の罪を打ち明けたかったのかもしれません。

  • 4・2先生と罪滅ぼし

先生はKの自殺以降、罪滅ぼしとして身体を悪くした静の母親の看病を懇切に行いました、また静に対しても出来る限り親切に接しました。「人間の心」というのは誰かに罪を犯した後になって、ようやく誰かに対して優しく接する事が出来るのかもしれません。

5こころ

この作品を通して「人間の心」というのがいかに複雑でずる賢く難解なものであるのか、という事を改めて教えてくれるように思います。考えすぎだと思う人も居るかもしれませんが、私🍏はこの作品が時代を過ぎてもなお読まれている理由に現代においても「人間の心」の繊細さに悩み共感する人が多いためのように思いますし、だからこそ「人間の心」は美しいのではないかと思います。簡単な計算式で表現できない心にひかれます。一人一人辛い過去があり、一人一人誰にも理解されない、理解されたくない過去があると思います。例えば先生の最愛の妻だからこそ最後まで記憶を汚したくないという思いから隠し通した思いというのは幸せになるべき二人を不幸せにしたかもしれません。先生は静を大切にしたいと思えば思うほど静に真実を打ち明けられないのです。このジレンマは簡単に説明出来るものではありません。

高校の授業では遺書の一部を抜粋して教科書に載っていますが「こころ」の魅力はこの記事で書いた通り「わたし」という登場人物により奥行きが生まれその魅力がより高まっていると思います。ぜひこの機会に手に取って最初から読み通してみてください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました