はじめに
「頭が良くなったら、人生は幸せになるでしょうか。」
もしこの問いに「たぶんイエス」と答えたくなる方がいたら、今回ご紹介する作品は、その答えを一度考え直させてくれるかもしれません。
ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』は、知的障害を持つ青年チャーリーが脳手術を受け、次第に高度な知能を手にしていく——そしてそのチャーリーが何を感じていくのかを日記体で描いた1959年発表のSF作品です。
手術を受ける前のチャーリーは、「自分が人並みの知能を持てたら、今より友達も増えるし、楽しい世界が広がる」と確信して手術を受けます。
しかし、実際に高度な知能を手に入れると——今まで持ったことのない怒りの感情、そして「知的障害があるからこそ周りに馬鹿にされてきた」という現実を知り、チャーリーは静かに孤独になっていきます。
私🍏はこの本を読んだのが大人になってからでした。読み終えて最初に思ったのは、「もっと若いうちに読んでいればよかった」ということです。学生さん、そして学生を子どもに持つ親御さんに、特に読んでほしい作品です。
アルジャーノンに花束をはこんな人にオススメ
- 学生の方
- 学生を子どもに持つ親御さん
- SFが好きな方
- 「知能」「頭の良さ」の意味を考え直したい方
アルジャーノンに花束をポイントテーマ・キーワード・魅力

進化
孤独
好奇心
日記体
あらすじ
主人公は32歳のチャーリー・ゴードン。知的障害を持ち、パン屋で働きながら、夜間の学習センターに真面目に通っています。
彼はある日、動物実験でしか行われたことのない脳手術を受けるチャンスを得ます。この手術を受ければ、頭が良くなるかもしれない。安全性は保証されていませんが、チャーリーは即答で「受ける」と決めます。
彼にとっては、賢くなること=周りの人が話している内容を理解できること、みんなが何を笑っているのか分かるようになること、だったからです。
手術後、チャーリーの知能は徐々に高くなっていきます。彼は図書館の本を読み漁り、話し方も内容もどんどん高度になり、やがて自分を手術した大学教授よりも頭が良くなります。
しかしそれは同時に、今まで見えていなかった現実が見えるようになる、ということでもありました——。
知る事で孤独になっていくチャーリー
手術前のチャーリーは、周りの人たちが自分を見て笑っているのは「自分が好かれているから」だと思っていました。
しかし脳が発達していくうちに、彼はある事実に気づきます。周りの人間が笑っていたのは、知的障害があるチャーリーをからかっていたからだったのです。この事実に気づいたとき、チャーリーは大きなショックを受けます。
さらに、彼を手術した大学教授たちの態度にも、彼は気づいてしまいます。研究者たちは、チャーリーを一人の人間としてではなく、実験のためのモルモットのように扱っている。
そしてもう一つ。脳が発達するにつれて、チャーリーは自分の過去を思い出していきます。自分は知的障害のために家族から捨てられた——その辛い記憶が、鮮明に蘇ってくるのです。
賢くなるにつれて、チャーリーは知りたくなかった事実を次々と知ってしまう。この作品のタイトルにもなっている「アルジャーノン」(同じ手術を受けたネズミ)と同じように、彼もまた実験室の中で、孤独に閉じ込められていきます。
手術をうけたことでチャーリーの変化
チャーリーの脳は様々な変化を見せますが、私🍏が思う一番大きな変化は、感情を持つようになったことです。
手術前のチャーリーは、まるで幼児のような素朴な感情しか持っていませんでした。しかし脳が発達していくうちに、彼は次々と新しい感情を手にしていきます。
作品を読み通していくなかで、特に目立つのが「怒り」の感情です。
パン屋の同僚、大学教授——今までチャーリーが怒りを抱いたことのなかった相手に、彼は明らかに怒るようになります。
これは、脳が高度になったことで彼らの態度の意味を理解できるようになったからこそ湧いてくる感情で、自然なものかもしれません。
ただ、作者のダニエル・キイスは序文で興味深いことを書いています。知能が低いチャーリーを書くとき、自身の幼児の記憶を使って書いた、と。
これを読んだとき、私🍏はふと考えました。私たちは大人になり脳が発達していくうちに、幼児時代には何とも思わなかったものが、怒りの対象になってしまう——ということが表現されているのではないでしょうか。
賢くなること、大人になることは、同時に、怒りを覚える対象を増やしていくことでもあるのかもしれません。
日記体でかかれた意味
1959年に書かれたこの作品が、今もなお多くの人から名作として読み継がれている最大の要因は、この作品がチャーリーの日記体で書かれているためだと私🍏は思います。
手術を受ける前のチャーリーの日記は、誤字脱字が多く、ひらがなばかりで、正直、非常に読みにくいです。内容も幼児が書いたような素朴なものです。
しかし手術後、彼の日記は少しずつ変わっていきます。誤字脱字がなくなり、漢字が増え、文章がきれいに読みやすくなっていく。そして日記の内容も、チャーリーの感情の複雑化とともに、深く、鋭くなっていきます。
さらに、この作品の真の凄みは、物語の後半にあります。
高度な知能を手に入れたチャーリーは、やがて自分の知能が再び退化していくことに気づきます。ここからの日記が、本当に苦しい。
- 知能が戻っていく不安と焦り
- 大好きだった本が読めなくなる恐怖
- 過去に自分が書いた日記の内容が理解できなくなる恐怖
今までのチャーリーが抱くことのなかった感情が、チャーリー自身の言葉で綴られていきます。だからこそ、読んでいるとチャーリーが本当に身近な存在に感じられ、彼の変化が生々しく、リアリティを持って伝わってくるのです。
この構造は、日記体でしか成立しません。 三人称で書かれていたら、これほどの臨場感は絶対に出ない。ダニエル・キイスはそれを1959年に見抜いていた——ここに、この作品が名作である最大の理由があります。ャーリーが本当に身近に感じられ、チャーリーの変化が非常にリアリティもって表現されています。
高度な知能を持つことは必要なのか
『アルジャーノンに花束を』はSF小説として、「高度な知能を持った人間はどうなるのか」というある種の思考実験を行っています。
現実世界でも、IQが極端に高い人ほど周りと話が合わず孤独だ、という話をよく聞きます。チャーリーもまた、手術を受けて孤独になっていく。
では、人間は高い知能を持つと必然的に不幸になるのでしょうか。
その答えは、チャーリーの有名なセリフにあります。少し長いですが、この作品を語る上で欠かせない一節なので、そのまま引用します。
「知能は人間に与えられた最大の資質のひとつですよ。しかしあまりにもしばしば、知識の探求は愛情の探求を排撃しているんです。これはごく最近ぼくがひとりで発見したんですがね。これを一つの仮説として示しましょうか。すなわち、愛情を与え、かつ受け入れる能力を欠いた知能は精神的道徳的破滅をもたらし、神経症、ないしは精神病すらひきおこすものである。つまりですねえ、自己中心的な状態でそれ自体に吸収され含まれてしまう心、人間関係の排除へと向う心というものは、狂暴さと苦痛へ導かれるのみだということ。」
つまり、高いIQを持っていても、相手に対する思いやりの心がなければ、その知能は意味のないものになる、ということです。
自分とは異なる知能指数、異なる人種、異なる言語。自分と違う人に対して、相手の立場を理解しようとする心。それがなければ、知能は人間を狂暴さと苦痛にしか導かない——チャーリーはそう言っているのです。
そして物語の最後、チャーリーは自分と同じ手術を受けたネズミへの、あの有名な一言で日記を終わらせます。
最後に
『アルジャーノンに花束を』はドラマ化、映画化も数多くされています。それでも私🍏は、この作品の一番の凄みは「日記体で書かれていること」に尽きると思っています。だからぜひ、映像ではなく小説で読んでほしいのです。
そして冒頭にも書いたことですが、この本は学生さんと、学生を子どもに持つ親御さんに、特に読んでほしい一冊です。
「頭が良くなれば人生は良くなる」——若い頃、私🍏もそう信じていました。でもチャーリーの物語は、そう単純ではないことを教えてくれます。知能よりも、思いやり。知識よりも、愛情。 大人になってからでも遅くはないのですが、若いうちにこの視点を持てたら、その後の人生は少し違うのではないかと思います。
まだ読んだことがない方は、ぜひ小説で手に取ってみてください。
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