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「アルジャーノンに花束を」~「感想」「あらすじ」「解説」「要約」:ダニエル・キイス

読書
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今回はダニエル・キイスが書いたアルジャーノンに花束をについて私なりに簡単に、あらすじ、感想、解説をしていきたいと思います。

アルジャーノンに花束を、は知的障害のチャーリーが脳手術を受け高度な知能を手にし、チャーリーが何を感じていくのかを日記体で表現したSF作品です。

手術を受ける前のチャーリーは、仮に自分が人並みな知能を持つ事が出来れば、今よりも友達が沢山出来て楽しい世界が広がるという確信をもって手術を受けます。

しかし実際に高度な知能を手に入れると、今まで持ったことがない怒りなどの感情や、知的障害がゆえに周りから馬鹿にされてきた存在という現実を知り、本当に高度な知能を持つことが人間にとって幸せなのか、と読者に問いかけている作品です。

個人的に読んだのが大人になってからでしたので、もっと若いうちにこの本を読んでいればよかったなと思いました。学生さんや子育て中の親御さんはぜひ読んでほしい作品です。

アルジャーノンに花束をはこんな人にオススメ

学生

学生を子供に持つ親御さん

SFがすきなひと

アルジャーノンに花束をポイントテーマ・キーワード・魅力

芋粥
芋粥

進化

孤独

好奇心

日記体

あらすじ

知的障害のチャーリーが脳手術を受け、徐々に脳が高度に発達していき、最終的には大学教授を打ち負かす程の知能を手にする。

今までチャーリーを下にみていた人たちはチャーリーが高度な知能を持ったことでチャーリーを避けるようになり、チャーリーも高度な知能を持ったことで現実をしり孤独になっていく。

高度な知能を持ったチャーリーだったが、知能が元に戻り始め、知能が元に戻ったチャーリーは同じ手術を受けたネズミのアルジャーノンに花束をあげて欲しいと日記に書き残す

知る事で孤独になっていくチャーリー

知的障害を持つチャーリーは、普段の生活の中で周りが喋っている事が理解出来ない事を悔しいと思ながら生活をしています。

もっと頭が良くなる事が出来ればみんなが何を話していて、何で笑っているのか理解する事が出来るので、知的障害の学習センターではチャーリーは非常に真面目に勉強をしています。

そんなチャーリーに脳手術の話がチャーリーの元にきます。

この手術は動物実験のみで未だに人体での実験はされたことがなく、安全性は担保されてはいませんでしたが、チャーリーは頭がよくなると聞き、この手術を受けることを快諾します。

手術後、徐々にチャーリーの頭は良くなっていき彼の人生は一変していきます。

いままで、たどたどしく、使う単語も簡単な物ばかりでしたが、図書館で本を読み漁ることで、喋り方が知的に変わり、喋る内容も複雑で難しい会話に変化していき、最終的には自分を手術した大学教授よりも頭が良くなっていきます。

当然、チャーリーが期待していた相手が何を喋っていて、何で笑っていたのかを理解できるようになります。

手術前のチャーリーは周りの人間が自分をみて笑っているのは自分が好かれているから、と思っていました。

しかし実際は知的障害のために自分をからかい馬鹿にしていたからこそ笑っていた、という事実を知りチャーリーは非常にショックを受けます。

また大学教授から受けるテストもまるで自分の事を人間としてではなく、実験のためのモルモットのように扱われている事や、脳が発達していくうちに自分の過去を思い出していき、自分は知的障害のため家族から捨てられてしまったという事実を思い出し、彼はこのような辛い事実を知り孤独になっていきます。

手術をうけたことでチャーリーの変化

脳手術を受けチャーリーの脳は様々な変化をみせますが、一番の変化は感情を持つようになった、という事だと思います。手術前のチャーリーはまるで幼児のような感情しか持っていませんが脳が発達してくうちにチャーリー様々な感情を手にします。

作品を読み通していくなかでも特に“怒り”の感情が目立つように思います。

パン屋の同僚や大学教授、今まで彼等に怒りの感情など抱いたことがなかったチャーリーが明らかに彼等に怒りの感情を抱くようになります。

当然、脳が高度になったことで彼等のチャーリーへの態度を理解できるようになったからこそ湧いてくる感情として自然なものかもしれません。

ただ作者のダニエル・キイスが序文に知能が低いチャーリーを書くときは自身の幼児の記憶をつかってチャーリーを書いた、とあります。

私達は大人になり脳が発達していくうちにつれ、幼児時代には何もおもなかったものも、怒りの対象になってしまう、ということが表現されているるのではないかと思いました。

日記体でかかれた意味

1959年に書かれたこの作品がいまだに多くの人から名作とうたわれ、読まれ続けている最大の要因は、この作品がチャーリーの日記体で書かれているためだと私は思います。

手術を受ける前のチャーリーは誤字脱字が多く、ひらがな、ばかりで非常に読みにくく、内容も幼児が書く日記そのものです。

しかし手術を受けると、誤字脱字が無くなり漢字が増えてきて文章も綺麗に読みやすくなります。

そして日記の内容もチャーリーの感情が複雑化していく様子が日記から読み取れます。

そして知能が再び退化していく場面では知能が戻っていく不安と焦り、そして大好きだった本が読めなくなる恐怖、過去に自分が書いた日記の内容が理解できなくなる恐怖。

辛く悲しい現実、周りの人間への怒り、今までのチャーリーが抱くことがなかった感情をチャーリーの言葉で表現されているので読んでいるとチャーリーが本当に身近に感じられ、チャーリーの変化が非常にリアリティもって表現されています。

高度な知能を持つことは必要なのか

アルジャーノンに花束はSF小説ですので

「高度な知能を持った人間はどうなるのか」というある種の実験をしていると思います。

現実世界で高すぎるIQを持つ人は周りと話が合わず孤独だといいます。

チャーリーも手術を受け孤独になっていきますが、では人間は高いIQを持つと不幸せになるのでしょうか。

チャーリーの有名なセリフにその答えがあるように思います

「知能は人間に与えられた最大の資質のひとつですよ。 しかしあまりにもしばしば、 知識の探求は愛情の探求を排撃しているんです。 これはごく最近ぼくがひとりで発見したんですがね。 これを一つの仮説として示しましょうか。 すなわち、愛情を与え、かつ受け入れる能力を欠いた知能は 精神的道徳的破滅をもたらし、神経症、ないしは精神病すらひきおこすものである。 つまりですねえ、自己中心的な状態でそれ自体に吸収され含まれてしまう心、 人間関係の排除へと向う心というものは、 狂暴さと苦痛へ導かれるのみだということ。」

つまり高いIQを持っていても相手に対しておもいやりの心が無い場合はその知能は意味のないものだと。自分とは異なる知能指数、異なる人種、言語。自分とは違う人に対しても相手の立場を理解することが重要だとチャーリーは言っているのです。

そして物語の最後にチャーリーは自分と同じ手術を受けたネズミのアルジャーノンのお墓に花束をそえてやってください、と書いて日記を終わらせています。

最後に

今回はダニエル・キイスが書いたアルジャーノンに花束を、について私なりにですが、簡単に、あらすじ、感想、解説をさせて頂きました

ドラマ化、映画化も数多くされておりますが、個人的に日記体で書かれている事がこの作品と最大のポイントだと思いますので、ぜひ1度は小説でこの作品を読んでほしいと思います。

まだ読んだことがない人はぜひ手に取ってよんでみてください。

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