「三四郎」~新生活をする人必読~:夏目漱石 [感想][あらすじ][解説]

読書

 

はじめに

日本を代表する文豪、夏目漱石。

彼がこの世を去り100年以上たちますが、彼が残した作品は現代においても、いまだに愛され続けており、今日を生きる私達に手助けとなるヒントを与えてくれます。

今回はそんな彼の作品のなかでも「三四郎」について書きたいと思います。

この作品は漱石の前期三部作の「三四郎」「それから」「門」の一作目にあたり

熊本から上京した青年が初めて都会の空気に触れ、そこで様々な世界・人と出会い一歩大人の階段を上り成長する青春小説です。

親元を離れ、新生活を始める方は読んでほしい一冊です

この記事ではそんな「三四郎」の魅力について紹介したいと思います。

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青春
三つの世界
女性の思考.

「三四郎」はこんなひとにおすすめ

新生活を始める人

あらすじ

熊本の高校を卒業した三四郎は東京の大学へと進学し、初めて都会の空気に触れ、様々な人と出会い、自分が生活する世界を過去・学問・恋。三つの世界をみつける。それらを比較し並べて見た時、社会的迷子である青年はどのような世界で生きるのか。漱石の描いた青春小説であり、前期三部作の一作

三つの世界

この作品で大きなキーワードの一つ「三つの世界」について書きたいと思います。

三つの世界を意識しながら三四郎を読む事は作品を深く理解するうえで非常に大切だと思います。

上京した三四郎は都会の生活を送りながら、自分の生活には三つの世界が存在していると考えます。

  • 懐かしい香りがして、全てが平穏である代わりに全てが寝ぼけていて、戻ろうと思えば戻れる立ち退き場のような存在である熊本を「過去の世界」と考えます
  • 苔の生えたレンガ造りが有り、現世よりも、書物に興味を抱いて孤独に貧しく日々勉強に励む。出ようと思えば出られる学問を「学問の世界」と考えます
  • なにもかもが明るくて、春のように瑞々しく爽やかな世界。そしてその中央に美禰子という美しい女性が存在する。目と鼻の先にあるのに近づき難い世界を「恋の世界」と考えます。

三四郎は自分の世界をこれら三つに分けて、自分はどこかの世界で主人公になりうる資格を持っていると考えます。

自分にとって居心地の良い熊本に帰ってヌクヌク生活するのか、現実世界から離れ孤独に学問に打ち込むのか、それとも美禰子という女性を追いかけてみるのか。

三四郎だけでなく、私達の生活もいくつかの世界に分けて考える事が出来ると思います。家族、学校、バイト先、職場、部活動。その中で自分がどの世界に入り込み、どのような役割で生きていくのかを考えてみると、自分の人生を冷静にそして客観的に見る事が出来ると思います。

三四郎はこの三つの世界を並べて考えたあと世界をかき混ぜて一つの世界として考えます。つまり熊本から母親を招いて、美しい細君をとり、学問に身を委ねる事を妄想します。

非常にハッピーな世界ですが、人生はそう甘くありません。結果的に三四郎は入学当初ほど授業に熱をあげなくなるだけでなく、サボるようにもなりますし、美禰子にはフラれてしまいます。

自分に転がっている世界を分けて考えるという思考法は複雑な人生がシンプルになって気持ちが楽になる気がします。そして私🍏は、ある時にはその世界達を”分断”する勇気を持つべきだと思っています。

同時に複数のものを大切にしたり、守ったり、同時に何かを成し遂げる為には並々ならぬエネルギーと覚悟が必要です。

美禰子の行動とその結婚相手

三四郎が想いを寄せる美禰子は女性運動を行った平塚らいてうをモデルにしたとされており、思想、性格は封建制時代の女性ではなく、近代的女性そのものです。露悪家であり、プライドが高く思ったことは、男性だろうとハッキリ言う。自分の結婚相手も家柄や経済力を気にせず自由恋愛で決める。

物語の大部分は美禰子が女性経験の乏しい三四郎、野々宮さんに思わせぶりな行動を行い、彼等の気持ちを弄びます。

美禰子、野々宮、三四郎この三角関係は三四郎を苦しめますし、美禰子自身もその苦しんでいる様子を楽しんでいるかのように描かれています。

しかし、物語の終盤で美禰子は急に現れた金縁眼鏡の男性と結婚します。そして明確には描かれていませんがその結婚相手とは、三四郎が美禰子と初めて会う時にはある程度固まっていたような表現もあります。(p238)

そのような相手がいたにもかかわらず、美禰子は三四郎と野々宮をもてあそんだ悪女のようにうつります。「女性という生き物は男性からみたら何を考えているか分からない生き物であり、女性経験の少ない三四郎は美禰子にいいように遊ばれてしまって可哀そうである」

三四郎を読んでこのような感想を抱く方は多いと思いますし、私🍏自身も最初読んだときこのような感想を抱きました。しかし何度も読んでいくと「何故、美禰子はこの金縁眼鏡と結婚したのだろう」と考えるようになりました。

美禰子は近代的女性です。であるならば、彼女の恋愛観は家柄や経済的な理由ではなく自分の意思で好きになった人を選ぶべきです。しかし美禰子が結婚した「金縁眼鏡」は家柄についての描写は在りませんが、実業家のようで経済的にはかなり裕福そうにみえ、誰かから紹介を受けて出会ったような気がします。

この疑問について考えるとこの物語で重要なキーワードである「迷子」という言葉が光ってきます。この迷子という言葉は作品の中で多く使われており、美禰子も自身が「迷子」であると三四郎に言い、さらに三四郎自身も自分同様、迷子であるというふうに絵葉書で伝えています

「小川を描いて、草をもじゃもじゃ生やして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っている所を写したものである。男の顔が甚だ獰猛に出来ている~(中略)・・・表は三四郎の宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである」

三四郎(p131)

この「迷子」という言葉を美禰子はどういった意味で使ったのでしょうか。

あくまで私🍏の考えですが美禰子はこの言葉を「社会的にどう生きるべきなのか迷っている人」を「迷子」として称したのだと思います。

三四郎も三つの世界で自分はどう生きるべきなのか迷っていましたが、美禰子も同様に「近代的女性」として自由に生きたいと願っているけれども実際には誰かに紹介されたお金持ちと結婚しようとしている。「近代的女性」と「非近代的女性」の間で美禰子は迷子になっていたのかもしれません。

明治という時代は欧米文化が急速に入ってきました。建物、法律、職業、身分制度、ありとあらゆる生活が変化し、そこでどの世界で自分は生きるべきなのか「迷子」になってしまう人も多かったのかもしれません。

美禰子が三四郎に送った絵葉書ではデビルをモデルにした男が出てきますが、私🍏はこの男を社会もしくは「金縁眼鏡」をイメージしたのではないかと思います。自由に生きたいけれど社会はそうさせてくれない、社会は迷子が寝ている小川の向こう側で怖い顔をしてこちらを見ている。

ここまで考えてから美禰子の結婚をみると美禰子という女性がまた奥深い人物に見えてきます。私🍏の考えすぎのような気もしますが、これもまた読書の醍醐味だと思っています。

最後に

今回は三四郎について書いてみました。

私🍏は三四郎と年齢があまり変わらない時にこの本を読んだとき、初めて都会に訪れた青年の高揚感に共感し、美禰子に対し嫌な女性だなと思いましたし、結局三四郎はどの世界でどのように生きるべきだったのかを考えました。月日が経ち気づけば三四郎よりだいぶ年上になった時この本を読み返すと三四郎の苦いこの青春は彼にとって必要なものだったのだろうと思うようになりました。

春から新生活を始める人には是非読んでほしい作品ですし、そうでない人も自分の青春とかさねながら過去を懐かしむというのも良いのではないのでしょうか

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